有吉弘行が乃木坂46のファンを怒らせた?生駒里奈に言った失礼な言葉とは?
有吉弘行が乃木坂46生駒里奈のファンを怒らせた
『有吉ゼミ』で、番組司会の有吉弘行が『乃木坂46』の生駒里奈を茶化すシーンが相次いで放送され、インターネット上で批判の声が挙がっている。
番組では、10種類以上のスパイスを入れた通常の5倍以上辛いカレーを食べる企画のロケが放送された。この企画には鈴木亜美やゴルゴ松本、横澤夏子、『EXILE』メンバーらが参加し、ゴルゴや横澤らが挑戦失敗するなか、鈴木だけは「おいしい、おいしい」と食べ続けていた。
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このVTRを見た生駒は、唐辛子が嫌いだと言い、「唐辛子がダメなので(見てるだけで)胃が痛いんですよ」と答えた。有吉は「若いし量は食べるんじゃない?」と質問すると生駒は「あんまり食べられない」と苦笑いしながら答えた。
そうすると有吉は「じゃあお前、何ができるんだよ」と真顔で指摘。スタジオは笑いに包まれたが、生駒は困惑した表情を見せた。
「有吉はスタジオVTR鑑賞ばかり」と批判
視聴者はSNS上で《辛いもの苦手って言っただけで「お前は何ができるんだ」って有吉のツッコミ雑だわ》、《生駒のことを全然ダメな芸人をこき下ろすときの表情で見てるじゃん、あれはダメだ》、《有吉もスタジオでVTRを見てるばかりで生駒のことを言える立場か》など、有吉の生駒に対する態度が辛らつすぎるという意見があった。また、最近スタジオでVTRを見ながら司会をするばかりという、有吉の態度にも批判が集まっている。
有吉と生駒には“因縁”がある。以前『くりぃむクイズミラクル9 』(テレビ朝日系)に有吉と生駒が出演したとき、生駒は番組出演陣からヒントを出される配慮を受けたにもかかわらず、クイズに答えられず号泣したことがあった。
そのときに有吉は笑いながらも「政治家の娘さんですか?」と辛辣な突っ込みをしていた。そのときの印象が残っていて、有吉は今回も手厳しい突っ込みをしたのかもしれない。
有吉は生駒に芸能界の“洗礼”を浴びせているのかもしれないが、少なくとも視聴者からの支持は受けられなかったようだ。
有吉弘行のプロフと経歴
2人兄弟の兄として生まれる。
1993年にオール巨人に弟子入りするも兄弟子とけんかとなり
謹慎を言い渡されるが、無断で上京して翌年に森脇和成と
お笑いコンビ猿岩石を結成。
1996年に「進め!電波少年」の旅企画に起用されブレイク。
同年12月にリリースした「白い雲のように」はオリコン3位を記録。
ヒッチハイクの内幕を記した書籍「猿岩石日記」も250万部の
ベストセラーとなった。
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しかし次第に人気も下がり、広島のローカルタレント化していく。
2001年4月にコンビ名を「手裏剣トリオ」に改名するも、
9月に猿岩石に戻す。
2004年3月に猿岩石が解散となり、ピン芸人として活動を開始。
同年から「内村プロデュース」への出演が多くなり、じわじわと人気も回復。
2007年から毒舌芸人となり再ブレイクし、2011年には番組の出演本数が
もっとも多いタレントとなった。
MCとしての番組出演が多く、冠番組も複数持っている。
俳優としても活動経験があり、過去に「バブルへGO!!」や「BECK」などの
映画に出演している。
2000年には舞台「シンドバッドの冒険」で主演している。
出身高校:広島県 熊野高校 偏差値40(かなり容易)
有吉弘行さんの母校は県立の共学校の熊野高校です。
熊野町立熊野東中学校から同校に進学しています。
有吉さんの実家は熊野町で熊野筆の軸を製造する工場を経営しており、
地元の高校に進学しました。
プロレス好きが高じて、高校時代は柔道部に所属しました。
またお笑い好きでクラスで漫談をやったりしたので、女子からは人気が
あったそうです。
なお後に猿岩石をともに結成する森脇和成さんとは小学生の時からの
幼なじみで、同じ高校に通っていました。
出身大学:進学せず
有吉弘行さんは高校3年生の3月に「EXテレビ」の企画の
「公開弟子審査会」に合格して、高校卒業後はオール巨人さんに
弟子入りすることになります。
もともとお笑い芸人を目指していたことから、大学には進学するつもりは
なかったようです。
しかし兄弟子とのトラブルから勝手に上京し、いきなり太田プロダクションに
電話して、その1年後に正式に所属となります。
その後は大ブレイク→人気急落→再ブレイクとジェットコースターのような
人生を辿ることになりますが、今や日本でも売れているタレントの代表格のような
存在となりました。
そんな有吉さんも再ブレイクがあったのは、低迷期に耐えたことだと語っていますが、
末永く活躍してほしいところです。
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